先週末、花見に参加しました。
満開の桜の下で、大人数がお酒飲んで、美味しいものをたべてワイワイさわいで
子供たちは遊びに夢中。絵に描いたような宴会です。
お酒の力もあってか、普段話さない人ともたくさん話しました。
あまり話したことはないけど、こんなにおもしろい人だったのか!
そんな発見がたくさんあります。
ただ、ぼくのずっと思うこととして
みんなが集まるパーティに参加すると「楽しい」という感情と
いっしょに同じくらい「寂しい」という感情がやってくるのです…。
ときには「寂しい」の感情のほうが大きいときもあります。
この感情がどこからやってくるのか、整理したくなったので
記事にまとめてみます。
Contents
自分の役割を探している自分に気づいてしまう。
花見なら、肉を焼く人。子供達と遊ぶ人。お酒をつぐ人。
食べながら楽しそうに話す人。…と、いろんな役割をする人がいます。
しかし、僕の場合どこの輪に入ると、あの人たちと話せるだろう?気が利くと思われるだろう?
そんなことを考えます
100%のリアクションを求めてしまう
話したい人や、久しぶりな人に話した時に100%のリアクションを求めてしまいます。
「おー!めっちゃひさしぶり!!!」みたいな「!」がほしくて
ぼくが相手に興味を持っていたら、相手にも自分に興味を持っていてほしいんだと思います。
(書いててなに言ってるだ感がすごいですが…)
けど、勇気だして話しかけても「はいはーい」みたいな場合もあるわけです。
そんなときに「うぅ!」と心にダメージが入ります。
うすっぺらい自分に気づいてしまう
いざ、話しだすと相手の考えや言葉がしっかりしていると、ぼくはこんなふうに
話せてないなぁ「うぅ!」とここでも心にダメージが入ります。
自分が話すとその場を取りつくろっていたり、それっぽく言おうとしてるなぁ。
そんな考えが頭によぎります。
帰り道のひとりぼっちの時間が際立つ
どんなに楽しいパーティも終わります。
今までの楽しい時間が終わった時に、とてつもない寂しさが襲ってきます。
なぜなら今日の自分の対応はあれでよかただろうか、あの人ともっと仲良くなりたかったなぁと
ひとり反省会が始まるからです。
自分にないものを持っている人ばかりを見てしまう
場をもりあげる人。席についてじっくり一人の人と話す人。
お話が上手な人。誰かの手伝いをサッとできる人。そんな人たちを見ては「ああいうふうになりたいなぁ」とばかり
思ってしまいます。
自分ではない人と話しているのが気になってしまう
たぶん、自分のことが一番仲のいい人であってほしい!そんな感情が
ぼくの心のなかにある気がします。
なんでしょう。例えるなら、好きな女の子が他の男子と話しててモヤモヤする。
という感情に近いかもしれないですね。
人を選んで話している自分に気づいてしまう
みんなと仲良くなりたい。と言っているぼくでも気づけば
この人とは話さなくてもいいかな…と、人を選んでいる自分がきることに気づいてしまいます。
そんなときに、自分が小さい人間に思えたり、相手に失礼なことをしているようで「うぅ!」とダメージ。
まとめ:それでもぼくはパーティには参加するし話す
多人数のところに行くとぼくは主観的ではなく客観的に
自分のことを見ている自分がいることに気づきます。
これは性格でこれから、ずっと心にありつづける感情なんでしょう。
なのでぼくのなかでこう割り切ることにしました
「パーティは楽しみながら寂しさを確認する場所」
きっと、楽しいことって決して楽しさ100%ではないんですよね。
美味しいとんかつと同じ気がします。
美味しとんかつは食べれば衣がサクサクで熱々なので口のなかを怪我します。
パーティもそいういうものなのでしょう。
それでもぼくは話します。
だってとんかつが大好きだから。